聖夜狂想曲

      *YUN様、砂幻様のところで連載されておいでの
       789女子高生設定をお借りしました。
 


        




  …………さて、一体どこから話せばいいのやら。


 突然 女性専用大浴場の脱衣場へと踏み込んだ不審者は、この宿への侵入者であっただけではなく。何という偶然か、警視庁の捜査課の警部補である勘兵衛が直前まで東京に本部を据えて手をつけていた案件の一味、一斉捜索の網の目くぐって逃げ延びた際、証拠物件の一部を隠匿目的で持ち出していた、下っ端の若造であったらしい。

 『いや何、立件に足るだけの証拠や贓物は、回収出来ていたのだが。』

 口ではそうと言いつつも、勘兵衛自身もどこへ紛れ込ませたものかと、腹の底にて引っ掛かったまんまとしていた代物で。これもまた、性質的な部分の兼ね合いから 公表されなかろう事件なので大きな声では言えないのだが、とある企業の顧客名簿がごっそりと持ち出されるという事態が持ち上がったのがコトの発端であり。コンピュータ経由でのハッキングや何やという手段じゃあない、書架から原本を丸々盗み出したという、手間暇かけて持ち出して見せた犯人一味の真の狙いは…、

 『その企業の管理部へ、買い戻せと法外な値段を吹っかけて来たのだよ。』

 窃盗事件なら被害者なのだからと胸張って届けりゃいいものだが、何せ奪られたモノがモノ。データという格好で盗まれても大問題なのに、名簿という申し開きの出来ぬ格好で物理的に奪われただなんて。一体どんな管理をしているのかと、その信用に大きな汚点が残ろうし、
『他のどこへも流出してない、無傷な名簿は高値で捌けるから。』
 取引がお流れに終われば終わったで、純正な代物なだけにそっちへ回すことも可能とあってはな。苦労しただけの実入りを目指した、結構 老練な連中の仕業じゃああったのだけれども。

 『それでも、勘兵衛さんのチームが追い詰めちゃったんですねvv』

 自暴自棄になってのネット流出に運ばれちゃっては何にもならない。それとの競争っていう手早い対処が求められたのでしょうに、相変わらず敏腕なことでと。概要という形での説明を聞いたおりは、満面の笑みにて大きに感心した平八だったが、

 「怪我などはなかったのだな?」

 ならばよろしいと、それ以上はさして叱りもしない五郎兵衛を前にしている今は。剽軽なくらいの平生の明るさ、喉奥にぐうと飲み込んで。少々頬を強ばらせ、すっかりと口ごもってしまってる。ここは五郎兵衛らが荷を置いている和室のほうであり、勇ましくも急ごしらえの消防士のようになって扱ったホースの先のノズルのダイアル、少しほど毛羽だっていた縁で指の腹をこすっていたみたいで。ひりひりするのをこそりと気にしていた平八だったのへ、さすがは目ざとくも気がついて。見せてご覧なと手当てをされていたところ。日頃からも、結構危険なことへと首を突っ込むことの多かりしなお嬢さんがたなのを重々見知っているせいか、何か仕掛ける前に忠告するならともかく、済んでしまったことにはあまり触れない五郎兵衛なのはいつものことだが、

 「怒らない、の?」

 畝の細いコーデュロイの、サロペット風ジャンパースカート。そのお膝辺りを小さな両の手できゅうと掴みしめつつ、おずおずとした口調で平八が訊けば。大きな手のひらが、頭のてっぺんをぽふぽふと撫でてくれて、

 「キュウゾウやシチさんが怪我をしないかという、
  怖い想いもしただろし。
  無我夢中での立ち働きでは、叱りようもないからの。」

 勿論のこと、彼だって平八を案じてくれたのは知っている。だって、不審人物の間近にいた、一番危険だったのが誰と誰かは判っていたろうに。

 『キュウゾウっ、シチさんっ、左右に避けてっ!』

 先の二人が疾風のような勢いで駆けてゆき、それでもいかんせん、最初にあった間合いが詰められないでいた相手へ目掛け、平八が放った…文字通りの“後方支援”。一番水圧を上げてのジェット水流で、逃げ出しかけてた男の背中をどんと叩いた。冷たい水がかかるだけでも、焦っている身には何だなんだというブレーキになるだろと思った加勢。ところが、ノズルから放たれたジェット水流は思ってた以上の威力があって。水圧に負けてのこと、手元で暴れて背中を狙ったものが照準が上へとずれたほど。そう、届くだけで御の字だったはずが、

 『どわっ!』

 後頭部をひっぱたくよな勢いで不審者へとぶち当たり、不意な冷たさと叩かれた衝撃に驚いた彼は、そのままつんのめって前へと転んだ。そこへと駆けつけていたキュウゾウが、だんと思い切りよく背中を踏みつけ、身動きを封じつつ、

 『出せ。』
 『な、何の話だっ』
 『ケータイ。』

 そんなもん知るもんか、俺りゃ盗撮なんてしてねぇし。開き直った相手へますますのこといきり立った女神様。両足でその背へと乗り上がり、ぎゅむと体重かけての踏みにじっておれば、

 『退けっ!』

 相手が女と踏んでの抵抗か、逆上したまま身を起こしかかった彼で。身ごなしが軽いものの、いかんせん、痩躯で軽量な久蔵は、さしたる重しにはならないに違いない。さすがのバランス感覚が働いてか、すぐさま転げ落ちるということはなかったけれど。おとととよろめいた姿が見えたせいだろう、追って来ていた七郎次がハッとして…傍らの松の木の幹に添わす格好、立て掛けられてあったホウキを見るや否や、

 『キュウゾウっ!』

 柄を握り、重たい穂先を後ろへ回すべくぐるん旋回させつつ、大きく背後へ引いてから ぶんと振り抜くまでの、何ともなめらかな一連の動作よ。そこまで大仰な渡し方をするほど遥かな距離はなかった、むしろその勢いじゃあ久蔵にこそ当たっていたかもと、のちに危ぶまれた全力投擲で送られた古ホウキだったのを。相手の抵抗からバランス崩していたにも関わらず、そっちを見もせずの宙にてパシリと、シングルキャッチであっさり捕まえてしまったこちらさんも大したもの。滑空して来た勢い生かし、大きく回しての柄の先を下に向け、そのまま どんっと真下へ突き降ろせば、

 『ぎゃあっ!』

 肩甲骨の間への一撃が襲って、これにはさすがに参ったか。逃げようとして暴れかけてた男が、痛い痛いという方向で もがくばかりと相成って。そこへ、

 『もうもう、そんな格好でっ。』

 やっとのこと追いついて、持っていたバスタオルを広げた七郎次だったものの。肌寒い屋外に超薄着で出たのは彼女も同じ。久蔵の勇み立つ肩をくるみ込みつつ、…っくちんと愛らしいくさめを放ってしまった七郎次だったところへと。やっとのこと、騒ぎを聞きつけた宿の方々や、五郎兵衛らが駆けつけてくれて。

 「……。」

 取り押さえたと言ったって、女子高生二人での仕儀では 相手だってもっと破れかぶれになっての反撃せぬとも限らなかった危ない場面。駆けつけたばかりでは、そういった展開あっての顛末だっていうのも、よくよくは判らなかった筈だろに。それでも…ホースを手に仁王立ちしていた赤毛の少女へ真っ先に駆け寄り、着ていた上着を素早く脱いで、こちらの肩へと掛けてくれ。大丈夫か?怪我はないか?怖かったろうに…と、平八が我に返るまで、ずっとずっと言葉をかけていてくれた五郎兵衛であり。

 「学校でもあれこれと危ないことへも首を突っ込んでおろうに。」

 ホントはさしたる人生経験もない身の筈だが、皆には内緒の“前世”の蓄積や、こちらは今世で身につけた 類い稀なる行動力で補って。些細な揉めごとから感情の行き違いまで、お節介ながら橋渡しをして差し上げるのを、何とはなくに引き受けることの多い彼女らで。そっちにしたとて、一応は“子供が手をつけていいことではないと思うぞ?”との窘めを、毎回 寄越してくれていたものだから。何を今更ということか、ふふと微笑いかかったお顔が、けれど中途で表情を止める。モヘアのボレロを羽織った肩へ大きな手がぽそりと置かれ、え?と見上げた金褐色の猫目を、鳶色の双眸が見つめ返して。

 「こたびは さすがに怖かったのかな?」
 「〜〜〜。///////」

 学園内で引き受ける“よろず相談”の類いとは、全く違った突発事態。上着でおおったこの肩が、細かく震えていたのはきっと、湯冷めしかかっていたものと思い込み。やはり それぞれの保護者が促しての戻って来た二人と同様、もう一回暖まっておいでと湯殿へ戻しただけじゃあ足らなんだようだのと、かつての“彼”より ますますと小さな身、くるりと腕の輪の中へとくるみ込んでやれば、

 “………え?////////”

 あれれ? こっちからだってしょっちゅう抱きついているのにね。堅い肩とか広い背中とか、ゴロさんの頑丈な体躯の感触、とっくにちゃんと知ってたはずなのに。ふわりと開かれた懐ろは、いつもと同じ匂いの他にもっと男らしい匂いもして。それより何より、どこまでも埋まってしまいそうなほど深くて…優しい。頼もしくって強い人だと、ただただ頑丈で打たれ強くて、なのに器用だなんて万能じゃないですかって。前世と今世と合わせても、そこまでしか知らなかったのにね。

 “〜〜〜ずるいなぁ、ゴロさんてば。”

 こんな隠し球、持ってたなんて。叩かれても負けないだけじゃない、すがりついたらどこまでも深々と受け止めてくれるなんて。大人の抱擁力を、甲斐性という形以外のこんなところにも抱えてらした小癪なお人。今初めて、こんな形で、それを知ってしまった小さなお嬢さん。こちらからも伸ばした小さめの手で、脇から背中へと腕を回して。アーガイル柄のセーターへ、ぎゅむと精一杯しがみつけば。頭の上から、かすかな吐息と…微笑った気配が降って来て。

 「昔はほんの一月ほどしか、一緒にはおられんかったが。」
 「……うん。」
 「それでも、こんなに愛しいと。
  生まれ直してからでさえ、何十年も忘れられずにいたお人だ。」
 「……。//////」
 「男女の別が出来たことへも、何をか期待してはならぬと、
  思う前から気づきもせずにいたのだが……。」

 身長差がある二人だからと、いつもの如くに少しほど屈んでくれてる偉丈夫が。そちらからの拘束を少し緩めたのへと、

 「……? ゴロさん?」

 ややもすると不安げに見上げた平八。そんな少女の小ぶりなお顔へ、緩められた片やの腕の、重たげな手がそろりと添わされて、

  “……え?////////”

 相手のお顔の優しい目許が、すうと伏せられたのへとこちらも合わせて。目を閉じ切った間合いに、口許へと触れたやさしい何か。再びその懐ろへ、掻い込み直されていることへも気づかぬまま、頼もしい温みにうっとりとくるまれて。初めての口づけくれたのだと、今はまだ理解も出来ぬまま、ふわふわと総身が浮くよな心持ちがしていた、平八だったりしたのである。




  「それにしても、今日は思わぬ“眼福”をいただいてしもうて。」
  「…………? はい?」
  「なに、下着姿のヘイさんを、あんな突然拝ませてもらおうとは。」
  「…っ☆ /////////」







        ◇◇◇



 「…ったく。どうしてこうも後先を考えぬかな。」
 「……。」
 「まあ、無事に片付いたことではあるが。」

 それに…と言い足したかったことがないではなかったが、そこは彼女の最も柔らかい部分なので、言葉にするのはよしたその代わり。まだ少しほど湿ったままな髪へと気づき、そのままだとほつれてしまわぬかを案じて、長い指を差し入れて梳いてやる兵庫せんせいだったりし。どこぞかの金融機関の制服を思わせるよな、シンプルにしてオーソドックスなデザインのジャンパースカートは濃紺で、下に重ね着た淡い水色のブラウスや、透けるようなと常々賞されている 彼女の白い頬を引き立たせる。今 彼らが居るラウンジのテーブルと揃いなのだろ、かっちりとした型の四本脚の椅子に、自身もまた姿勢正しく腰掛けているこの少女は。ひょっこり来合わせた者が誰しも“おっ”と眸を止め気を留めるほど、申し分なく美少女の範疇に入ろう存在で。赤みの強い双眸は涼しげに凛と冴え、品のいい口許には浅い緋色が楚々と滲む。幼いころから親しんでいるバレエの恩恵か、長い腕や脚は前世の彼の、鬼神と恐れられたる しなやかな風貌をそのままに再生しており。それなりに振る舞えば十分に華やかでもあろう、繊細にして際立った目鼻立ちを。なのに、沈黙という静謐に沈めることで、真逆のミステリアスな印象に転じさせており。

 “かつてほど とっぴんしゃんなことも、
  今世では しでかさなくなってた筈なのだがな。”

 日頃の久蔵はというと、確かに機敏だし目端も利く方でありながら、それでも…その身を危険に晒してまで火中の栗を拾うような、若しくは正義感に燃えてと激発するような性分の子ではない。今回は実際に飛び出してったくらいだ、臆病だからなんて可愛らしい理由じゃあなくて、単に物事への関心が今一つ薄かったからに他ならず。せっかく、容姿に体格、個性に素養にと あれこれ沢山恵まれていながら、なのにそれらを生かせよう何かを全くの全然思いつこうともしないまま、他の少女たちと同じレールの上をただなんとなく運ばれていたような観があって。そんなだった彼女が、突然目覚めたのが…あの親友の二人の少女らと“再会”してから。今日の騒動にしたって、覗き男の手にしていた携帯の液晶画面、いわゆる“待ち受け”に、七郎次の姿が収められていた…という“勘違い”をしたからだときて。そんな理由でその身を動かすようになったとはと、そこへはしみじみ感心してしまった兵庫殿。

  “それに…。”

 盗撮男の正体は、勘兵衛が追っていた名簿売買組織の下っ端だったそうだと説明されたのが、もう一度湯に浸かって来なさいと娘らが湯殿へ回れ右をさせられたのちのこと。警察による事務所への一斉捜索が掛かったおり、使いっ走りに過ぎなかったその男が、女性幹部から預かったのが、取引に要った重要な資料の一端を収めたその携帯だったとか。取るものもとりあえずで尻を叩かれるようにして逃げ出したものの、どう処理したらいいものかまでは訊いてなくって。人目を忍んで、こちらの伝手へと連絡をつけていた彼だったものが、誰もいない“中庭”を横切って入ったところがまさか脱衣場だったとはと、向こうも相当焦ったそうで。そこへ久蔵の抜群な視力が徒
(あだ)を為したお陰様、ああいう展開になってしまった…というのが、コトの真相だったそうで。そこまでは本人の意図するところじゃあなかったにしても、とんだ難が転がり込んで来たのを、わざわざ追っかけたりしてどうするか、とは、庇護する者を持つ存在には当然の見解ではなかろうか。そんなこんなで、やっぱり難しいお顔になっていた兵庫せんせいだったのだけれど、

 「……。」
 「? 久蔵?」

 この旅行自体へもいい顔をしてはなかった兵庫であり、当初は確信犯的に…反対したその勢いで絶対についてくるからという形で、むしろ利用したような要素だったはずが。いざ、こうして二人きりになってしまうと、そんなカッコで連れて来てしまったことが微妙に悔やまれもしている 久蔵お嬢様。場を取り繕うのが上手な平八や七郎次ならいざ知らず、不器用極まりない自分では、機嫌のよくない兵庫を執り成す術など判るはずもなくて。お説教されるだけってのが関の山かなと、今更ながら自分の応用力のなさを思い知り、しょんもりと肩を落としてしまってる。そんな彼女の様子を見、

 “…判りやすくなったのは進歩、かな。”

 いやいや、まだまだ何かと判りにくいままですが。それでもまあ、今の彼は身の置き場に困っているような、傷心しているようだと誰へでもありありと判るだろう態を見せており。そやって反省しているのみならず、それとは別口の何かしら、恐らくは兵庫に何か言いたいらしいの、持て余しているらしいと判るから、

 「どうしたのだ。ここへ来たことに関係のあることか?」
 「……。」

 そういえば、先だっては流れ星を夜通し見ていて風邪を引きかけておったが、あれを一緒に見なかったのを怒っておるのか? …違うのか。では、今宵の予定を聞きもせなんだのへと焦れたのか? クリスマスにはお前の家へ招待されるのは例年のことだし、だからわざわざ、しかもこちらからは言わなんだだけだろうが。

 「〜、〜、〜。(否、否、否)」

 違う違うとかぶりを振ったものの、中途半端に動作が止まる。ばたばたしたのが今頃になって堪えての結果、貧血の症状が出たものかとハッとした兵庫だったのへ、

 「…斬ったからか?」

 思い詰めにぎゅうと締め上げられた喉奥から、それでも振り絞ったような声がして。

 「?」
 「俺が、許せぬか?」

 何を言い出した久蔵なのかと、だが、そうと怪訝に思う端から、そりゃあ速やかに理解が脳裏へ追っかけて来て。それと同時、久しく忘れていた感覚と共に、苦々しい笑みが兵庫の削いだような頬へと込み上げた。肉薄な口許が引き歪み、

  「……バカなことを。」

 思い詰めてのこと、やや俯く少女のお顔、愛おしげに感じる自分がやや口惜しいという、何とも複雑なお顔になって、見つめやる兵庫せんせいだったりし。何せ、前世の彼らは少々複雑な間柄だった。長年続いた大きな戦さの中、奇縁によって同輩とされてのちも、随分と長きに渡って共に居たにもかかわらず。自分らを雇っていた勢力に抵抗する側、しかもまずは勝算なぞあり得ぬ側へと寝返った久蔵であり。しかもその際、この兵庫へと迷いなき刃で斬りかかりもした彼で。その一太刀が、文字通り…彼らの縁をも断ち切ったこととなったのだが、

 「お前は昔っから人の意向を聞かなんだ。
  そういう奴だというのは、重々知っていたからな。」

 あの折に“馬鹿め”と罵倒したのは、苦労をわざわざ選ぶとは呆れるという意味だったのであり。

 “斬られたのはただ単に、こちらが後れを取ったってだけの話なのにな。”

 あの鬩ぎ合いの中で、兵庫の方もまた…自分の手前側にこの久蔵が立っていながら、肩へと抱え上げてた銃の引き金、迷う事なく引く気でいたのだ。そういう時代であったのだし、よくある凌ぎ合いにすぎぬこと。だのに、今になって心細げに何を訊いてくるのやら。転生したからとか、あの侍連中と この時代で再会したからでなく。選りにも選って あの当時から、そのような可愛げのタネを拾い上げて来ようとは…。

 “……敵わぬな。”

 戦さしか知らず、それゆえ誰よりも純粋無垢だった存在と。誰ぞが称えるかのように呼んでいた二つ名が、戦の神“紅胡蝶”。あまりに真っ直ぐ過ぎることを訊かれ、答えに詰まる自分が腹立たしくてしようがなかったことをまで思い出しつつ。思考の迷宮に落っこちそうになっているのなら、せめて噛み砕いた物言いをしてやろうと思い直した兵庫であり。

 「あの頃も…今もそうだが、
  お前が何も考えておらぬとまでは言わぬ。ただ、
  それこそ昔から、考えて得たことよりも、
  その身で感じたことのほうを、優先していたお前だったなと思うてな。」

 する…と涼やかな感触が頬に触れ、こちらへとその長身を傾けて来た彼なのが判る。見上げれば、淡い色のついたメガネ越し、切れ長で張の強い、だが、今だけは穏やかに柔らかな眼差しが、こちらをそおと覗き込んでおり。襟のないジャケットの懐ろ、スタンドカラーのデザインシャツの濃色にくるまれた胸元が、すぐ目の前。

 「……。」

 いつもいつも彼の側から手を延べてくれるから。だから、こっちから“欲しい”ときはどうすればいいのかを知らないままの久蔵で。

 「…それは、いけないことか?」

 あの頃も今も、正しいことばかりを選んで来たという自信はない。いつだって自分はどこかで大きく欠けていて、いつも何かが足りなくて。あの頃は、終戦という号令と共に、無理から奪われた穹がいつまでもいつまでも恋しかったし。今の生では…彼女らに逢うまでのずっとずっと、無為な日々がいつまで続くのかと、陸に上がった魚みたいに 身の置きどころにただただ困ってて。そんな日々の中、しょうのない奴だと口許を歪めながらも、どうしようもなくなって振り返れば、そこにはいつもこの人がいた。ほれこっちだと、やや強引に腕を取り、途方に暮れてる暇がないほど、たくさんのお説教を聞かされもして。やっと出会えたと胸がツンとした話をしたとき、七郎次に“寂しいかったんだね、でももう大丈夫だよ”と言われて、でも…ホントはあのね? 意味がよく判らなかった。そういうの…寂しいという感情を知らなかったのは、寂しいと思ったことがなかったからかも? だって、思ってたよりは独りじゃなかったみたい。今だって、ほら。ほんの少しほど背中や肩が寒いのと思うより前から、独りにしないでと思うより前から、

 「…いけないこと、なんかじゃあない。」

 ほれと、おいでと、上を向いた手が差し伸べられて。それへ掴まれば…冷たい指先を両手で温めてくれるのが、常の仲直りでもあって。ああでも今日はね、指先だけじゃあ足りないから。

 「…っ。」

 その手よりも先へ、立ち上がりながら首元へとすがりつけば、

 「……どした?」

 驚かなかった訳じゃあないだろに。でも、すぐにも優しい手が背中へと回される。こんなにも背の高さに差があったかな? 胸だって随分と広いけど…ああそっか、俺が年下の女子だからかな? いい子いい子と撫ぜられるのが心地よくて、なのに…何だかドキドキもして。

  甘えたかったなら遠慮なぞ要らぬぞ?
  ………。(頷)
  だがまあ、人目のあるところではNGだがな。
  …、…、…。////////

 あまりの呆気なさが意外だったけれど、だからこそ、手を放しちゃいけないと。元に戻ってしまったなら、もう こうしてもらえないかもしれないと。そんな気がして、顔を上げられなかった久蔵へ、

 「それにしても…。」

 ぽつりとした呟きがしたのへ意表を衝かれ。何が?と目顔で訊くことで、ついのこととてお顔を上げれば、

 「いや何。あの策士め、相変わらずに強運な男よのと思うてな。」

 この彼が“策士”とまで呼ぶ相手と言えば、もしかせずとも島田勘兵衛をおいて他にはなく。盗難の届けが出ていた個人情報、たとえコピーであれ、流出してしまったその時点で、被害者や警察側の黒星となっただろうに。一斉捜索という網の目を掻いくぐってしまい、残念ながら取りこぼしたはずのものが、こんな格好で取り戻せたのだから、これを強運と呼ばずしてどうするか。

 『盗撮男なら、証拠になっちゃう携帯をへし折ったりするでしょう?』
 『…?(そうなの?)』
 『映像を取り出せないなら、証拠はないんだって開き直れるじゃない。』

 もっとも、正式な手順で消したファイルでも、引っ張り出して再生出来るプログラムがあるそうだから、その程度の破損じゃあ無駄な抵抗なんですけどね…とは、平八が付け足したおまけの余談。あんな男の話なぞ けったくそ悪いからと、兵庫が口をつぐんでしまったその続きは、後日にお友達から聞くこととなった久蔵であり。

 『キュウゾウに追われて、しかも“携帯を出せ”って言われて。』

 まあ、まさか覗き野郎めと勘違いされてることにまでは、気づいてなかったのかもしれないけれど。それでも、取り上げられるくらいならって壊すなり投げるなりをしなかったのは、あれの中にお宝のファイルやあちこちの連絡先が入力されてたことを、あの騒動でようやっと自覚したからなんだってと。担当刑事である勘兵衛から訊いた、真相とやらを伝えてくれた七郎次。

 『むしろ、やっぱり皆から狙われてる携帯なんだって、
  あの犯人がそうと思ってしまったもんだから。
  温泉に放り込まれるとかって格好でも破損もされなくての、
  無事に回収出来たんだしって。』

 あいつってば、よく見りゃ女の子の久蔵さえ怖かったらしいよ? もう何発か、叩いてやりゃあよかったねなんて、くすすと微笑ったお友達の、嫋やかな笑みの似合う白いお顔に、こちらも ふふと小さく微笑った久蔵だったのは数日後の話だが、

 「…それにつけても。あんなはしたない恰好での大立ち回りとはな。」
 「???」
 「覚えておらぬのか?
  下着同然どころか、まんま下着姿というあられもない恰好で、
  なのに大威張りで不審者を踏み付けておったのだぞ?」


   ……………………………………。


 「〜〜〜。///////」
 「今の“間”はなんだ、間は。」






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  *ヒョーゴさんの“前世”には、
   小説版のシチュエーションをじんわりと滲まさせていただきました。
   未読の方にはネタバレになったかもで すいません。


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